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ちょっと前に複数のメンバーに同じような話をすることがあったので。
むやみに確認を求めるべきではない
プロジェクトのタスクを進める中で関係者に確認してもらってから次のステップに行く場面は多々あるのですが、そうする必要がないときにまで周囲に確認を求めるのはよくありません。時間がもったいないので。
確認を求められる側の心理はこうです。
「このあいだ要望は明確に伝えたのに、何を確認してほしいの?」
「あなたは本当に○○のプロなの?」
「こっちの確認にもれがあってあとから問題が出たらこっちの責任にされるな...」
周囲に確認を求める姿勢、結構国民性が出るところでもあり、日本の人は概して慎重になりすぎるところがあります。石橋を叩いている間に時宜を逃して渡り損ねる状況も散見されます。『「いつもお世話になっております」は書かないことにしています』の記事にも若干通じる考え方なのですが、結果を出すことにコミットする上で、過度な確認要求は障害になります。
私たちがやるべきなのは、事前にできるかぎり、あるべき姿に照らし合わせて、あるいは周囲とのコミュニケーションを通じて確認ポイントを押さえておくこと、またデリバリ時にはそれらポイントにつき自分で確認作業を行い、なにか問題があったときには自分でフォローする(そうできるように準備しておく)ことです。事前に確認ポイントを網羅的に把握できず(当然そのような状況も多々あります)、作業を誤った方向に進めることでプロジェクトに一定以上の不利益が生じる可能性がある場合は、無論確認を求めるべきです。表層的な要求を掘り下げた先にある根本的なニーズ/課題とそれに対する解につき、自分なりに具体的なイメージをもち、それと実行結果が照合できているか。これを常に意識することが大事なのだと思います。
DevOpsやアジャイルの文脈
「日本の人は概して慎重になりすぎる」と述べました。多くの人が認識しているところだと思いますが、日本は高度成長期に作り上げた仕組みが制度疲労を起こしているにもかかわらず、なかなか変えられずにいる状況が続いています。固定的で変更コストが高い環境では周囲に確認を求めざるをえない状況が多く発生します。固定的であるがゆえに情報が共有されにくく、変更コストが高いがゆえ間違いを避ける意識が強く働くためです。単純化が過ぎるかもしれませんが、皆が「ご確認ください」のボールを投げあっている間にこれといった新陳代謝も起こせず30年が経過した、そんな印象を私はもっています。
だからこそというわけでもないですが、コタエルではなるべく「ご確認ください」のコストをかけずにすむアプローチや仕組みを採用しています。たとえばDevOpsの概念やアジャイルのアプローチ、CI/CDの仕組みには、「変更は起こるもの」とした上で変更コストを下げるという考えが通底しています。変更スコープを適切にコントロールしたりテストを自動化する等で不確定要素を排除していくことで、トラブルの発生可能性はある程度システマチックに減らすことができます。
そのような環境下では、そうでない環境下で確認ポイントとなるものがそうではなくなることもよくあります。また不確実性が残ったとしても、コミュニケーションコストを含む確認のコストの方が確認のトラブル未然防止効果より大きくなってしまうこともよくあります(リスクの方が絞り込まれるため)。お客様へのサービス提供の場面でも、変更へのレジリエンスが高くスピード重視のお客様の場合は、お客様の方が変更適用を先行させて様子を見ることを望まれることもよくあります。
このような事情があるので、新しく参画したメンバーが「固定的で変更コストが高い環境」の感覚をそのまま持ち込むとギャップが出るということなのだと思います。
「ご確認ください」を言いすぎていませんか?